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障がい者2人子持ちの ママ日記

私の3.11 あの時から学んだこと

もうあれから9年経つんですね。

9年前の未曾有の大災害、東日本大震災

その頃私は埼玉県K市に住んでいました。

 

朝、いつもの様に子供たちを2人乗り自転車に乗せて、それぞれの保育園に送り届けました。

そして子供たちを送った後、今度はその足で、その時務めていたMマークの某ファストフード店舗へ今度はGOGO~。

そしていつものように出勤して、いつものように午前中のバタバタが過ぎ、なんらいつもの日常と何ら変わらない時間帯でした。

そしてお昼も過ぎて、そろそろ落ち着いてくるかな~っと思った。その時。

今でも忘れません14時46分

 

その時間が来ると周りはいつもの日常から一変し、予想もしていなかった事件が起こりました。

 

いつもの仕事風景から、何か違和感を感じ外を見ると、道路と店が何か震えている、波打つような感じで地震が来て、「あ!地震だ」っと思うと、フライヤーの油が・・・ピッチャピッチャ波打ち始めました。

 

そしてお客さんの悲鳴そしゃがみ込む人達。

 

私は正直忙しくしていたのと、全くそんな事よそうもしていなかったので、最初何が起こったのか、直ぐに分からなかったです。

 

立っていられないような揺れに、「あ!お客さん!」っと我に戻り、お客さんに落ち着くように呼びかける。

でもみんなが何が起こったのかわからず、ただただ悲鳴と座り込む人達・・・

 

そうこうしていながら、ふとお店の外を見ると、店舗敷地内にあった電信柱が倒れていくのが見えた。

「!電柱倒れた!」

大丈夫か!外!

 

っと思いながら外に出ていけない私は見ているだけしかできず、そ~っと恐る恐る外を見返してみると、幸いお客さんも含め、通行中の人がたまたまおらず、電信柱の下敷きになってしまうという大惨事を免れました。

 

 今でも思い出すとあの時の事は怖いですし、ドキドキします。

 

きっと私も怖かったけど、あの時子供たちも怖かったんだろうな~って思います。

幸い子供たちもその後迎えに行って無事だったので、本当にほっとしました。

意外と怖かったみたいだけど、ケロッとしてました。

 

ああいう時本当に人って何もできないんだな~っと実感しました。

 

もちろんその後の停電や、実家が宮城だったので、両親なども大変でしたが、今はみんな平穏に暮らしています。  コロナで平穏でもないか!

 

あの時も色々な人達や、周りの助けやみんながお互いを心配しあえることができたんだから、こんどのコロナウィルスもきっとみんなで乗り切れるんだと私は信じています。

 

自分が一番大変な時に、他人のことを思いやりることができる、そんな人に自分も是非なりたいと思います。

 

そして私は今日もいつもと変わらぬ仕事と生活を送るのでした。